生まれてから半世紀以上「今拓哉」と言う名前と共に時を重ねて来た。
30年を超える役者人生も本名のまま続けて来た。
結婚したときにも姓を変えることはなかった。
しかし50を超えて数年経ついま、「新たな名前」を持つことになった。
きっかけは10数年前に遡る。
それは長唄三味線との出逢いだ。
以前から邦楽には興味があったのだが、どう一歩を踏み出すかが分からなかった。
しかし”ご縁”というものに導かれることが、あるものである。
友人からのとある「邦楽の会」のご案内がそれだ。
間近に聴く三味線の音色、長唄の響きに魅了された。
そして、それが後の師匠との出逢いだった。
友人も師匠も関西在住の方だが、
その日のうちに東京にも稽古場があることを知り、
あれよあれよという間に稽古場に足を運んでいた。
初めての稽古で手にした三味線にワクワクしたのが昨日のことのようだ。
初めて目にする文化譜は暗号にしか思えなかった。
”チリトテチン”が三味線の譜読みだということも初めて知った。
三味線にはフレットがない。
故に自分で勘所(かんどころ)と呼ばれる絃を抑える場所を見つけなくてはならない。
ギターは弾いていたことがあるが、趣は全く違った。
思わず勘所を探して竿を見ながら弾いていた僕への師匠の一言は忘れられない。
「音を見ないでください」
その場でカンペみたいな「勘所シール」を剥がされた。
でも絃を爪でする音を頼りに感覚で勘所を覚えていくことを学んだ。
きっとこれは何よりの早道だった。
運指もバチ捌きも思うように行かずもがきながらではあったけど、稽古は欠かさなかった。
弾けば弾くほど三味線が好きになったからだ。
少し弾けるようになればまた好きになる。
そうして続けていると、無理だろうと思っていた曲も弾けるようになっていたりする。
そして数年前、新曲をいただいたときに師匠が一言。
「名取にご興味がありますか?」
その曲がその年の「名取試験」の曲だったのだ。
でもその時は二の足を踏んで挑戦しなかった。
気がつけば「名取」の試験曲は全部攫っていた。
そして今年になって一念発起。
試験を受けることにしたのだ。
結果、合格。
そして「杵屋」を名乗ることを許された。
僕の「新しい名前」は、『杵屋禄哉』(きねやろくさい)だ。
50を超えて貰った「新たな名前」。
大切に育てていきたい。
もちろん、まだまだ未熟であることは大いに自覚している。
「杵屋」の名に恥じないよう更に稽古に精進しなきゃと気を引き締め直してもいる。
そして益々三味線の奥深さが、その音色が、好きになっている。
何より、いままで文字通り”手取り足取り”導いて稽古をして下さった師匠には感謝しかない。
そんな師匠とのツーショットを最後に!
師匠が「松尾芸能賞」を授賞されたときのもの。
おそらく、ツーショットはこれしかありません。
『今拓哉』
そして
『杵屋禄哉』
今後とも宜しくお願い致します!
さぁ、明日も『魔法使いの約束』の稽古。
もちろん、こちらの稽古にも励んでますよ〜!!